あなたはどんな人生でしたか?

私の幼い頃からの夢、それは看護師になること。

小さい頃の私にとって、看護師さんって優しくて、かっっこよくて憧れの存在でした。

私が中学生の時、ずっと一緒に住んでいた祖父が他界しました。その時、初めて身近な人の「死」に直面しました。

前日の夕方、祖父はいつもより呼吸が苦しいと食事もできず、病院へ向かうことに。

祖父が病院に行った時は、まだまだ家族や看護師さんが声をかけると元気に返事を返し、いつもより元気はなかったものの、また病態が落ち着いたら自宅に帰ってくるんだろうなと、そう思っていました。病院から帰宅した夜、宿題もせず寝てしまったため、翌日、早起きして宿題を終わらせる予定でした。

もうすぐ目覚ましが鳴る時間という時、目覚ましの前に父の携帯が鳴り響き、目が覚めました。ちょうどいい時間だと思い、その音で起きたのですが、一瞬にして父から「病院に行くよ」との一言で、慌てて家族みんなで自宅を飛び出しました。

祖父の病室に向かうと、祖父はいつものように目を瞑ってベッドの上にいました。でも、周りには先生や看護師さんが集まっていて、父も母も祖母も涙を流していました。「祖父は眠ってるのではなく、亡くなったのか」とその時気づきました。悲しい感情はあったものの、涙は出ず、不思議な感情でした。

涙を流している家族、親戚の隣で、看護師さんが声をかけていましたが、どんな言葉を家族にかけていたのかは覚えていません。でも、入院した日、祖父に一生懸命声「きつかったです、でも病院だから大丈夫ですよ、息苦しも楽になりますからね」こんな言葉をかけていた看護師さんの姿は覚えています。

その日から、私はやっぱり看護師になりたい、いや看護師になると決意しました。

その後も夢は変わらず、看護師の道を目指し、勉強に実習を乗り越え、周りの人に支えられ無事、国家試験に合格して看護師として働くことができました。

新人時代、自分が何も出来ないことに悔しい気持ちと、無力さを実感する日々でした。毎日、学ぶことばかりで、目の前のことに必死でした。

そんな中、病棟看護師をしていると、必ずと言っていいほど人の最期に携わります。

どのように最期を迎えるかは人それぞれです。

モニターがフラットになり、波形が出てこなくなった時、私が声を必ず心の中で声をかける言葉があります。「〇〇さん、あなたの人生はどんな人生でしたか?」

もちろん、返事は返ってきません。でも、表情から伝わるものがあります。

そして、「今まで一生懸命頑張りましたね、お疲れ様でした」と伝え、死後のケアをしながら生前の思い出話を語り、最期の時間を共に過ごします。

なぜか、私は最期を見送る機会が多く、このような会話をよくしました。

「あなたはどんな人生でしたか?」と尋ねた時、全員に「幸せな人生だった、最高の人生だった、悔いのない人生だった」こんなふうに答えてほしいなと思います。

もちろん私自身もそう答えたいです。

だから、今を全力で悔いのないように生きたいと思っています。

そして、私は「幸せな人生だった、最高の人生だった、悔いのない人生だった」と最期に言ってもらえるような行動を今行いたいのです!!