目の前の人を幸せに
看護師2年目、救急外来での出来事。
私が救急外来担当の時は、慣れないことも多くいつもドキドキ。
どんな患者さんが来るのだろうか?正しい行動ができるのだろうか?そんな中でも、私はこのドキドキ感が好きで、救急外来はどちらかというと好きな分野だった。
いつものように救急搬送されてきた患者さん。採血、点滴、心電図など処置を終えた後、すぐにCT室へ向かおうと準備をしていた時、痙攣発作を起こし急変。
今さっきまで返答していたが、意識レベルは急に悪くなり、呼吸状態も不安定に。すぐに処置室へ戻り、気管挿管(気管内にチューブを入れて気道閉塞を防ぐ)の準備。
基本的に役割分担をして、それぞれが自分の役割を行って処置していくのだが、その時の私にはできることが限られていたため、挿管介助を行うことに。
救急の現場では、できないことはできないと意思表示することがとても大事。時間との勝負であるため、できないことを時間をかけて行っていても救える命も救うことができない。
挿管介助に自信があったわけでもなかったが、やったことはあるし、その時はやるしかないと思った。
気持ちも焦っていたせいか、介助がうまく行かず結局もたもたと時間がかかり、医師からも怒鳴られ萎縮。さらにパニックに陥り普段できていたことまでできなくなった。
でも、目の前にいる患者さんにはそんなことなんて関係なくて、とにかく今は生死の分かれ道にいる患者さんを助けなければと必死になった。
幸い、その患者さんの命は助かった。
先輩看護師さんに救急外来での出来事を報告しながら、何もできなかったことに悔しく涙がとならなかった。先輩看護師さんは「自分ができなくて、怒鳴られて、あなた自身は悔しい、情けないと思ったかもしれないけれど、結果目の前の患者さんの命を救えたんだったらいいんじゃない。その人の人生今日で終わりじゃなかったんだよ。」そう私に言ってくれた。
それから、私は毎日毎日挿管介助の練習をした。そして、二次救命処置の資格を取得した。
救急外来にいると、同じような事例があったが、練習したことで自信がつき問題なく介助につくことができるようになった。もちろん毎回、さまざまな課題が出てくるのだが、少しづつできることが増えていった。
看護師として、目の前の患者さんを救い、目の前の人が笑顔になってもらえるように看護することは簡単ではないが、これが一番重要なことだと思った。
そして、今は看護師ではなくスポーツトレーナーになっても同じ。
運動を提供し健康になってもらうことで「目の前の人を笑顔に、幸せにする」これが私の役目。どうやったら笑顔になってもらうことができるのか?目の前の人が幸せに生涯過ごすためには何が必要なのか?私にできることを必死に実践する。
簡単なようで難しい。でも、目の前にいる人には今生きていて幸せだと思ってもらえるように努力する。
笑顔をそして健康を届けることができるまで諦めない。
人生は選択の連続
半年前から私はトレーナーとして働いています。
前のブログにも記載しましたが、前職は看護師です。今、全く看護師の業務をしていないわけではないのですが、主な仕事は運動を教え健康を届けるトレーナーです。
ずっと看護師になりたかった私は晴れて国家試験に合格し、看護師として働き出しました。もちろん、すごくやりがいのある仕事でした。毎日新鮮な学びがあって、患者さんとの関わりの中で、患者さんから教えていただくことが多くありました。
実は、パーソナルトレーナーになろうと決めたと同時に一つ諦めたことがあります。
それは、救急の看護師。私は救急医療に特化した看護師を目指すかすごく迷ったのです。
救急外来というところは、生死を彷徨っている状況で、いかに迅速に的確に処置を行うか。それが必要になってきます。その場にいる医師や看護師でとにかく全力を尽くして、目の前の患者さんを救う。この仕事にとてもやりがいを感じていました。救うことのできない患者さんもたくさんいらっしゃいましたが、その場で学ぶことは本当に大きく、私が成長する場でもありました。
救急の現場で看護師として働くか、トレーナーとして別の道を歩むべきかすごく悩みました。周りの人は口を揃えてこう言いました。
「絶対看護師続けた方がいいと思う。経済的にも安定しているし将来困ることないよ」
確かにそうなんです。経済面で言うと、看護師を続けた方がいいに決まっています。
でも、母だけは何を選択するときもこう言います。
「お母さんの意見はこれ。でも、あなたの人生なんだから、選択するのは自分自身。自分の人生なんだから自分で決めなさい」
そして、迷って迷って自分自身が選択した人生はトレーナーとして新しい人生を歩み出すことでした。迷って選択した道なんだから、全力で努力したい。そう思います。
日々、関わる方々に健康になっていただくため運動を提供し、元気と笑顔を与えられるような存在でいたいのです。
新しい道に進んでも、次から次に選択する場面が出てきます。小さなことから大きなことまで、周りの方々にアドバイスは頂きますが、それを参考にしますが、最終的に決めるのは自分自身なんです。
でも、周りの人の意見をたくさん聞いてみるのは私は必要だと思っています。いろんな考え方を知ることができ、選択するときのヒントになるのです。
うまく行かなかった時には、本当にトレーナーの道に進んで正解だったのか?と自分に問いかけることはありますが、「いや、この道に進んで正解だったと思えるような行動をしていこう」と気持ちを切り替えます。間違った選択をして、失敗したとしても大きな学びがあるのです。そうやって、失敗を繰り返し少しずつ少しづつ前に進んで成長していきます。
思うまま自由に生きたい。
私が看護師として、病棟で働いていた時の話。
入院してきた患者さんがよく言っていた言葉があります。それは、「病院にいると自由に動くことができない」「少し前まで自分でできていたことが今はできなくなってしまった」「もうあの世に行くのを待つだけ」とにかくネガティブな発言を聞くことが多かった。
もちろん、リハビリはあるものの自宅にいる時と比べものにならないくらいベッドで過ごす時間が長い。それはそれは、退屈するでしょう。動きたくなるでしょう。反対にもう全くベッドから動きたくなくなることでしょう。
私はどちらの意見も阻止したいと思いました。でも、現実難しいかったのです。
看護師が恐れていることの一つが「転倒」です。いかに患者さんが、転倒しないように安全に過ごしていただくか安全を守る義務があるのです。
しかし、時には患者さんの能力を低下させ、幸せを奪ってしまうことにもなります。
忙しい時に、患者さんから「ちょっと散歩に行きたいんだけど」朝一番から「ラジオ体操がしたい、ちょっと朝散歩に行きたい」こんな訴えがよくありました。
対応したい気持ちはあるのですが、特に朝一番はやることが多すぎるし、スタッフも少ないため対応できないのです。
患者さんがベッドから立ち上がるとナースコールが鳴り、「座っててくださいね」と一言。またま、センサーコールで病室に向かい同じ言葉を繰り返す。
看護師側の自己都合だとしても、患者さんの安全を守るためにはベッドにいていただくしかないのです。
運動する機会を奪ってしまい、どんどん筋力低下を引き起こし、もとのような生活が送れなくなってしまう。
「もう1人では生活できなくなった、家族も施設をすすめるし行きたくないけど施設に入る」そう決断する患者さんも多くみてきました。でも、その言葉の先には笑顔ではなく悲しみを感じます。「本当は住み慣れた場所で、思うままに自由に、残りの人生楽しみたい」ほとんどの方がこう思うのではないでしょうか?
私は、この願いを叶えるためのサポートをしたと思ったのです。
もし、病気になって入院する前に予防ができていたとしたら、多少動くことができない期間があったとしても、自分の足で立って歩き続けることができるような筋力をつけることができていたら、あるいは歩けなくてもすぐに筋力を取り戻すことができるのであれば。
患者さん、そして家族、友人多くの人が笑顔になるはず!!
だから私は、健康に生きるために運動することの必要性を伝え続けたい!
一度きりの人生、最期まで自分の思うまま自由に生きることができるように、今日も皆様に健康を届けます!!
後悔する前に。
前回のブログでも書きましたが、私の夢は看護師になること。
幼い頃から夢に向かって走り続けました。
でも、今は看護師として働いていません。
せっかく夢を叶えて、スタートラインに立って突き進んでいたのに。
周りの人はみんなそう思ったことでしょう。
人の人生最後に直面する機会が多く、最期に「あぁ人生いろいろあったけど、幸せだった、楽しかったよ」そう思ってほしい。私は毎回こんなふうに思っていました。
少しでも後悔しないように。
そう思ってもらうために、私にできることは何か?と考えた時、「生涯、笑顔で過ごす日々を楽しんでいただける」ような行動がしたいと思いました。
『運動を提供し、健康を届ける』これが私の考えた答えです。
看護師の経験もきっと活かせる!そう思いました。
そして、看護師トレーナーとして歩み出しました。
「運動」することで、「健康」を届けることができ、一生健康で過ごすことができると
自分のやりたいことができるし「幸せ」を感じる機会が増えるはずです!
病気で苦しんできた方々との関わりがあったからこそ、私に伝えられることはたくさんあるはず!というより、伝えなければならないと思っています。
健康を失う前に、予防できることはたくさんあります。
もちろん防ぐことのできない、病気もたくさんありますが、病気になったからといって必ず不健康というわけではありません。元気に笑って過ごすことができ、「幸せだなぁ」と感じるのであれば、それは健康ではないでしょうか?
そこにできる限り、あの時こうやっておけばよかったなという後悔がないように、私は「健康」を伝え続けます!
あなたはどんな人生でしたか?
私の幼い頃からの夢、それは看護師になること。
小さい頃の私にとって、看護師さんって優しくて、かっっこよくて憧れの存在でした。
私が中学生の時、ずっと一緒に住んでいた祖父が他界しました。その時、初めて身近な人の「死」に直面しました。
前日の夕方、祖父はいつもより呼吸が苦しいと食事もできず、病院へ向かうことに。
祖父が病院に行った時は、まだまだ家族や看護師さんが声をかけると元気に返事を返し、いつもより元気はなかったものの、また病態が落ち着いたら自宅に帰ってくるんだろうなと、そう思っていました。病院から帰宅した夜、宿題もせず寝てしまったため、翌日、早起きして宿題を終わらせる予定でした。
もうすぐ目覚ましが鳴る時間という時、目覚ましの前に父の携帯が鳴り響き、目が覚めました。ちょうどいい時間だと思い、その音で起きたのですが、一瞬にして父から「病院に行くよ」との一言で、慌てて家族みんなで自宅を飛び出しました。
祖父の病室に向かうと、祖父はいつものように目を瞑ってベッドの上にいました。でも、周りには先生や看護師さんが集まっていて、父も母も祖母も涙を流していました。「祖父は眠ってるのではなく、亡くなったのか」とその時気づきました。悲しい感情はあったものの、涙は出ず、不思議な感情でした。
涙を流している家族、親戚の隣で、看護師さんが声をかけていましたが、どんな言葉を家族にかけていたのかは覚えていません。でも、入院した日、祖父に一生懸命声「きつかったです、でも病院だから大丈夫ですよ、息苦しも楽になりますからね」こんな言葉をかけていた看護師さんの姿は覚えています。
その日から、私はやっぱり看護師になりたい、いや看護師になると決意しました。
その後も夢は変わらず、看護師の道を目指し、勉強に実習を乗り越え、周りの人に支えられ無事、国家試験に合格して看護師として働くことができました。
新人時代、自分が何も出来ないことに悔しい気持ちと、無力さを実感する日々でした。毎日、学ぶことばかりで、目の前のことに必死でした。
そんな中、病棟看護師をしていると、必ずと言っていいほど人の最期に携わります。
どのように最期を迎えるかは人それぞれです。
モニターがフラットになり、波形が出てこなくなった時、私が声を必ず心の中で声をかける言葉があります。「〇〇さん、あなたの人生はどんな人生でしたか?」
もちろん、返事は返ってきません。でも、表情から伝わるものがあります。
そして、「今まで一生懸命頑張りましたね、お疲れ様でした」と伝え、死後のケアをしながら生前の思い出話を語り、最期の時間を共に過ごします。
なぜか、私は最期を見送る機会が多く、このような会話をよくしました。
「あなたはどんな人生でしたか?」と尋ねた時、全員に「幸せな人生だった、最高の人生だった、悔いのない人生だった」こんなふうに答えてほしいなと思います。
もちろん私自身もそう答えたいです。
だから、今を全力で悔いのないように生きたいと思っています。
そして、私は「幸せな人生だった、最高の人生だった、悔いのない人生だった」と最期に言ってもらえるような行動を今行いたいのです!!